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アレグザンダーとの遭遇

パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則 (WEB+DB PRESS plusシリーズ)
先日デブサミ2010に初参加してきた。
そこで何気なく聴講したセッションがえらく響いたので、記す。

聴いたのは中埜先生のセッション
中埜博氏は建築家で、パタンランゲージで有名なアレグザンダーの弟子でもある方。アレグザンダーは建築や都市計画に住民参加やパターンによる記述方法を生かすことなどを提案した人物である。パタン・ランゲージとはWikipediaによると下記のとおり。

パタン・ランゲージ(pattern language)はクリストファー・アレグザンダーが提唱した建築・都市計画にかかわる理論。単語が集まって文章となり、詩が生まれるように、パターンが集まってランゲージとなり、このパタン・ランゲージを用いて生き生きとした建物やコミュニティを形成することができる、とされる。
Wikipedia:パタン・ランゲージ

これがプログラムの世界で言うところのデザインパターンの始まりに影響を与えたそうだ。*1
その他にも利用者参加による建築のための6つの原則を提案したりなどしている。たとえば一部を抜粋すると下記のような感じだ。

・有機的秩序の原理
  計画や施工は、全体を個別的な行為から徐々に生み出していくようなプロセスによって導かれること。
・診断の原理
  コミュニティ全体の健康状態は、コミュニティの変遷のどの時点でも、どのスペースが生かされ、どのスペースが生かされてないか、を詳しく説明する定期的な診断に基づいて保護されること。
from C.アレグザンダー「オレゴン大学の実験」 via 江渡浩一郎「パターン、Wiki、XP」

XPの思想にアレグザンダーが影響を与えたというのもうなずける。以前、角谷さんがRubyKaigiで「無名の質*2」について熱く語っていて、当時は??であったが、この中埜先生の話を聞いて、その理由を感じ取れた。

パターンの原理はデザインパターンへ応用されたが、その他の原理も応用が利くことがわかる。たとえばそれは電化製品の開発やデザインであっても応用できそうだ。
実際のものづくりでは全体を一気に決めるのではなく、ユーザのフィードバックを得つつ、各々の要素をじわじわまとめあげて行く行程がとても大切だと自分は思っている。
しかし今の多くの電化製品はそこを見失っているように思う。極端な話では、中埜先生は自分が住む家は自分で作るのがよいと言っていた。
何をバカな、と思ってしまうのが当たり前の反応だが、改めて考えてみると、自分にはこの視点が抜けていたように思う。
現在の電化製品というは余りに高度で、到底普通の人間が一人で作れる代物ではない。そこで我々は思考停止してしまっているのではないだろうか? たとえば我々自身で自分のための携帯電話を作ることができたらどんなにすばらしいだろうか。
診断され、有機的秩序に基づいて成長していく端末。
自分がすばらしいと感じたiPhoneは、ユーザメイドアプリによって自己成長を実現しており、アレグザンダーの原則に部分的に則っているとも言える。このセッションを聞いて、iPhoneに対して自分が感じた「良さ」を説明するための背景を得ることができたように思う。
これからのデバイス(ガジェット)開発はユーザ参加や、パターンを活用した漸進的開発プロセスを採用すべきところに来ているのではないだろうかと思う。その意味でAndroidは一つの可能性だ。
この十年でGoogleがソフトウェアの世界を席巻したように、次の十年は何か形あるものを依り代とした製品が世界を変えていくんだと思う。それがAndroidなのかどうかは分からない。

実際、何百、何千万と居るユーザと共に何かを作りあげていくなんて、冗談みたいな話なのかもしれないけれど、こういう思想を背中において現実と向き合っていけたら、それはとてもすばらしいだろう。そう思った。
きっとデザインパターンをもやもや考えていた当時のGoFたちも、こういった手法がもたらす素晴らしい未来を想像していたに違いない。

*1:参考:http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2005_22687/slides/10/

*2:言葉で説明するのが難しい概念。アレグザンダーの著作を読まないといけないな